山馬筆2011/12/02

タルイ工房 新ネコ日記 凛蔵
打ち合わせのため恵比寿に行った。

久しぶりの恵比寿だったから
恵比寿にある某書道具店に寄った。
そもそも、どうしてこのお店の筆を手に入れたのか
きっかけが思い出せないのだが、
ここの山馬筆が自分にとって使いやすく
しかもメチャクチャに安い。

山馬とは主に東南アジアの山中に生息する
馬のような鹿らしいのだが
近年はなかなか採れない上に
ワシントン条約で輸入が制限されてるらしい。

だから、本当に山馬の毛を使った山馬筆は
少なくなってきてるはずだし、
ベラボーに高くなければならない。
実際、山馬毛100%か判らないが
山馬筆はどこのお店でも高い。

なので、数千円で買えるこのお店の山馬筆が
本物の山馬の毛であるはずがない。
でも自分にとって、本物の山馬である必要は特にない。
要は描きやすければいい。
そして安いのはありがたい。

もちろん本物の山馬毛100%の筆を
使ってみたいとは思う。

「この筆、描きやすいし、安いですよね〜。」
「ありがとうございます。」

店員さん、嬉しそう。

「でも、何年も保たない。ダメになっちゃう。」
と言ったら嫌な顔されちゃった。

実際、安くで描きやすいけど、
保たないのも本当だ。

だから数年に一度、買い替えている。

この値段だもん、2、3年も保ったら御の字だ。

ちなみに、「山馬」は「サンバー」と読む。
Samba だ。

♪どうしようもなく悲しい時にSambaを踊ろう♪
♪からだをバネにして、足でリズムをとって♪

なつかし〜歌。

写真:山馬ではなく、ヤな耳してる凛さん


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高橋国光さんとライダーもなか2011/12/03

鈴鹿の駿風 ライダーもなか
先日、打ち合わせで恵比寿に行った流れで
チームクニミツのオフィスにも立ち寄った。

チームクニミツとは、
元レーシングドライバー、
仏のクニさんこと高橋国光さんが代表・監督である
レーシング・チームである。
今季はSuper GTシリーズにレイブリックHSV-010で、
伊沢拓也、山本部長を擁して参戦した。

じつはクニさん、若い頃は2輪の天才ライダーでもあった。
途中で4輪に転向されたのだ。

じつは、ワタクシがパッケージのデザイン、イラストを
やらせていただいた『鈴鹿の駿風 ライダーもなか』の
イラストのモデルは60年代のクニさん。

高橋国光さんに『鈴鹿の駿風 ライダーもなか』を持参して
ご挨拶に参上した次第。

とても喜んでいただけたようだ。
激しく光栄である。

ついでに、先日のJAFスプリントカップでの優勝のお話、
伊沢選手や山本部長のお話を聞かせていただいた。


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市民ランナーの星、川内優輝選手2011/12/04

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市民ランナーの星、川内優輝選手が
またまたやってくれた。

五輪代表選考レースでもある福岡国際マラソンに
調整レースの一つとして出場した市民ランナー川内選手が
日本人トップの3位フィニッシュ。

いまやお馴染みとなりつつある
驚異の追い上げと、全力疾走のラストスパート。
泣き笑いのような苦悶の表情でラスト数キロを走る姿は
もはやトランス状態というか、いっちゃってる感じだ。
とてもフルマラソンのラストスパートとは思えない
疾走ぶりだ。
ゴール直後に倒れ込むのも、お約束のシーン。
箱根駅伝ではよく見る光景だが
フルマラソンではなかなかない。
全力を絞り出してしまう走り。
かつて女子の松野選手が1万メートルで
ゴール直後に倒れ込む姿があったが、
その松野選手もフルマラソンでは倒れ込むことはなかった。

ただし、陸連は厳しい評価をしている。
このレース内容とタイムでは世界では戦えない。
確かに、世古、宗兄弟、中山、森下、の時代とは
変わってしまった。
ケニアをはじめとするアフリカ勢のハイスピードマラソン。
先頭集団が脱落することなく
2時間7分台くらいなければ
オリンピックでは勝負にならないだろう。

でも、今回の日本人男子、実業団の選手は
川内選手に負けてしまったのだ。
じゃぁ世界で戦える選手が他にいるのか?という話だ。

練習の一環で本番レースに数多く出場する川内選手。
予定通り、2月の東京マラソンに挑む。
そして2時間7分台を目指すという。
東京に出なくても、おそらく五輪代表には選ばれるだろう。
もし出場して惨敗したら評価は割れる。

それでも、
「出ないで後悔するより出て後悔したほうがいい」

日常の限られた時間での練習、
本番レースに数多く出るのが練習の一環、
コーチもいない独自の調整方法。
本当に、今までにいない独特な選手だ。
ロンドンまでに世界で戦えるレベルまでいけるのか?
とっても楽しみだ。


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東京オートサロン20122011/12/05

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来年の話を言うと鬼が笑うそうだ。
でも、来月はもう来年なのだ。

というわけで来月にして来年の話。

1月13、14、15日、幕張メッセで開催される
「東京オートサロン2012」の会場で
ライブアートと作品展示をすることが
だいたい決まりました。
http://www.tokyoautosalon.jp/
場所など詳細はまだですが〜、
決まり次第、Blog1にアップします。

皆さん、お待ちしております。


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坂の上の雲2011/12/06

待ちに待った坂の上の雲、第3部が始まった〜。

やはり第3部は日露戦争の凄惨な戦闘シーンが
たくさん出てくることになりそうだ。
(むか〜し、映画「203高地」見たなぁ。。。)
でも、これは実際にあったことのはずだし
決して誇張したものではないはず。
むしろ、現場はもっともっと凄惨だったはず。
自衛隊の演習を見学したことがあるが
実弾を発射する大砲の音など半端ではない。
あれをお互いに撃ち合うのかと想像すると
たまらないものがある。
目をそむけるべきでないのだ。

カーネーションも太平洋戦争突入で
ドラマは重苦しい展開になってきた。

ところで、6、7年ほど前に
日露戦争100周年ということで出版された
日露戦争をテーマにした歴史雑学文庫本の
カットの仕事をしたことを思い出し、
引っ張り出して、ところどころ読んでみた。
もうすっかり忘れていたが、
秋山兄弟や広瀬中佐とか、
描いていたんだなぁ〜。
長岡外史のヒゲがすごいぞ。。。(笑)


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ジョン・レノン & 真珠湾の日2011/12/08

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12/8は ジョン・レノンの亡くなった日であり、
真珠湾攻撃で太平洋戦争開戦の日でもある。

ジョン・レノンは1940年生まれで
1980年に40歳で亡くなった。
だからもう71歳なのである。

71歳のジョンか〜、
想像できないなぁ〜。
案外あまり変わってないのかも。。

ちなみに、
クニさんこと高橋国光さん、
F1とIndyCarで活躍したマリオ・アンドレッティも
1940年生まれだ。
ジョンと同い年かぁ〜。
クニさんもマリオも
50歳過ぎても第一線の現役ドライバーだった。
93年、マンセルがF1からIndyCarに転向した時の
チームメイトがマリオだったから、その時でも52歳。
だから、つい最近までトップドライバーだったのに〜
という感じだ。

中学生の頃、ビートルズの似顔絵を
よく描いていた。
ビートルズが自分にとっての似顔絵の始まりだ。
ビートルズなら写真を見なくても
そらで描ける、という時期があった。
最近は描いてないな〜。

全然関係ないけど、最近、
エリック・カルメンのラズベリーズ動画を発見して【喜!】
イントロ&間奏の勇ましいハードなロック調と
ソフトでメロディアスな歌中のギャップに
昔、バカウケしたなぁ〜。
http://www.youtube.com/watch?v=jfgnc6Ey0q0&feature=fvwrel


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松浦孝亮選手ご結婚2011/12/10

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元 IndyCarドライバーで
今季はSuper GTシリーズにARTA Garaiyaから参戦した
松浦孝亮選手(GAORA IndyCar解説者でもお馴染み)
のご結婚を祝し、
似顔絵ウェルカムボードを描かせていただいた。

無事、直接お渡しすることができた。
ハワイで挙式されるということで
現地会場にて飾っていただけるとのこと、
激しく光栄。

松浦選手とは、
彼がIndyCarシリーズに参戦する前の年
03年からお知り合いになり、
年賀状の絵を描かせていただいたり。
毎年Super Aguri IndyCarチームの
ポストカードを描かせていただいていたので、
彼がIndyCarシリーズに参戦した4年間は
毎年マシンを描かせていただいたし、
似顔絵を描いたこともあった。

00年、Formula Dreamチャンピオン獲得
01年はドイツF3に参戦、
F1ドイツGPのサポートレースで優勝するなど
F3チャンピオンは獲れなかったけど初年度から目立っていた。
01年のマカオGPでは
佐藤琢磨選手の日本人初優勝で沸き返った陰で
松浦選手は初マカオ挑戦で4位に入っていて
その頃から注目していた。

カートの時代からずっとARTAのドライバーとして
歩んできたからか、
今年の初めのARTA体制発表会で
久しぶりになる、胸に「AUTOBACS」と入った
レーシングスーツを嬉しそうに着ていた。
似顔絵ウェルカムボードもご本人のご希望で
今季のARTA Garaiyaのスーツ姿で描いた。

新婦さんは初めてお会いしたが
とっても美人、色白。
色黒の松浦選手とは
まさに美女と野。。(以下自粛)

とっても喜んでいただけたようなので
かなり安堵〜。

末永くお幸せに〜〜。


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安岡秀徒選手祝勝会2011/12/11

安岡秀徒 横断幕
安岡秀徒選手のポルシェ・カレラカップ 2011
シリーズ・チャンピオン獲得祝勝会に
友人たちと共に出席してお祝いした。

安岡選手と知り合いになったのは
2004年、フォーミュラ・トヨタに参戦、
1年目にして、トヨタワークスといっても良い
エッソ・トヨタの2台(大嶋選手、関口選手)を打ち破り
見事チャンピオンを獲得した時からだ。

05年、06年はメーカーの支援を受け
全日本F3に参戦。
しかし、力を出し切れなかった。

昨今のモータースポーツ界、
参戦費用はどんどん高騰していくのに、
チームにはスポンサーが足りず。。。
従って、自動車メーカーの支援ドライバーか
大きなスポンサーを持っているドライバーしか
シートを得るのが難しい状況となってしまった。
Fポンの2年連続チャンピオンが
シートを失ってしまうくらいなのだ。

メーカーの支援を失ってしまった安岡選手、
もはやこれまでか、と思われたのだが、
08年にはF3のNクラスに参戦。
2勝したが、翌年のチャンスにはつながらず。

しかし、マシンに乗れない月日も
決して諦めることなく、
彼は速く走るための努力を怠らなかった。
10年にポルシェ・カレラカップのスカラシップに採用された。
1年目は今までフォーミュラしか乗ってこなかったこと
ミシュランタイヤが初めてだったことなどで
序盤に勝てなかったレースが後々響き、
シーズン後半は圧倒的速さを見せたものの、
着実にポイントを重ねた前年王者に及ばず、
惜しくもシリーズ2位。
11年はチャンピオン獲得だけでなく
本人はレース内容と全レース圧勝を自分自身に課し、
見事期待に応え、全レースでポールトゥウィンの
完全優勝でタイトル獲得。

この完全優勝が今後にどう結びつくのかは判らないが、
決して諦めない、という事を学ばせてもらった気がする。
来季以降のチャンスにつながること
陰ながら祈るばかりだ。


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